西川の渇水を待って、前年に破損した新川底樋の本格的な復旧に、潟組および村上領一五か村でとりかかった。出雲崎へ呼び出された新潟町総代は、青山村堀割計画をしめされた。また、新潟町と潟組との調整を行う立会人として、尼瀬町名主京屋七左衛門が任命された。新潟町は湊の水位の低下を懸念し、新川以外の新規堀割掘削に反対した。そのため新川改修工事であれば承諾することとし、潟組へも説得をおこなうよう藩へ要望した。藩でも潟組に対して新潟港の重要性をとき、新川改修工事の承諾を働きかけた。潟組と村上藩村々で、盆休みもせず工事を行っていた新川底樋の修復は、出水のために再度底樋が破損してしまったが、その後は西川の増水のため、瀬替えにより工事を行い終了した。この工事には一〇二〇両余の費用がかかったが、長岡、村上両藩が支出した。潟組総代は新川改修工事もやむなしとの判断を下し、反対を表明していた潟組内の八か村と相談することになった。潟組三七か村は、新川改修工事を引き受けることとし、立会人京屋七左衛門へ申し出た。新潟町総代は出雲崎役所へ呼び出され、潟組が新川改修工事を引き受けた事を伝え、仮規定書をとりかわした。潟組では工事に関係する村々と交渉を行い、仮規定書をとりかわした。