決 壊

天保一一年には洪水によって、金巻村の堤防が決壊し、濁流が双領樋一門と新川にかかる橋を壊した。双領樋の伏せ替えは、村上領、長岡領曽根組で天保一二年に行った。弘化二年、小熊村彦市が西川へ底樋をふせ、平島村地内から青山村の海面まで掘割三潟を開発する計画が出雲崎代官所へ提出された。金主は五泉町吉久兵衛であった。この計画は新潟町の反対にあい許可されなかった。さらに弘化三年には幕領田村村、庄屋兵左衛門、水沢新田村庄林右衛門、山口新田十左衛門が、田潟、大潟、鐙潟の開発を願い出た。巻組庄屋らはこれに反対し、田潟、大潟の開発をすすめることを、出雲崎代官所へうけあい、兵左衛門らの願いは退けられた。嘉永二年これまで潟組総代を努めていた巻組庄屋六名は、困窮のため三潟の用益を三七か村の共同管理に戻し、総代を辞退したいと長岡藩へ願い出た。翌年にも総代辞退を願いを提出したが許可されなかった。

決 壊