新川完成により、潟縁の排水は進み、浦潟縁は干上がった。このため文政四年に黒鳥村総百姓で干上がった場所で手の及ぶだけで稲作りを行う事とした。村上藩は金蔵坂堀割の功績により褒賞をあたえた。木場村庄屋七兵衛は、板井村庄屋萩野伝左衛門にかわって総代をつとめ、金蔵坂堀割に関係する村々との交渉を行い、工事中は昼夜をわかたず出精したため、苗字帯刀御免および村高のうち一五石御免となった。黒鳥村庄屋松左衛門は工事中よくつとめたとして、帯刀御免。板井村庄屋萩野伝左衛門は、最初から味方組総代をつとめ功績があり、褒賞を受けた。同年、村上領一五か村は、翌年分の干上がり地の開発計画を建てた。板井村では一四九町歩余の土地のうち、七九町歩余を村中の労働人口四五〇にわりつけ、三九町分余を水呑の者七五人にわりつけ、一五町歩は畑地にし、のこりの一五町歩は板井村で手におえないので、味方村へ押し付ける計画であった。木場村では一二三町歩余の土地のうち、七九町歩余を村中の労働人口五八〇人へわりつけ、三二町歩余は村外の者に押し付け四町余りは水が深く開発できず、三町は畑地、四町七反は金気がつよく、用水溜まりにする計画をたてた。黒鳥村では一〇〇町歩余の土地のうち、五五町歩余を村中の労働人口三〇〇人へ割り付け、六町歩は村内の無高一五軒へ押し付け、一四町歩余は村内の仙太郎へ、七町歩は亀貝村へ押し付け、四町歩余りは畑地とする計画であった。北場村では三町七反の土地のうち、九反四畝を村中の労働人口七〇人に割り当て、五反は畑地にし、二町二反六畝は金気がつよくて開発できないとしていた
田舎暮らしでスローライフな毎日を過ごしてみたいと考えている方が年々増えている様です。田舎暮らしで自給自足の生活や新規就農したい、など田舎暮らしに興味のある方は田舎暮らし
昨今はどこの家庭でも家計のやりくりが大変で、大半の家庭では家計は火の車というのが現状のようです。使っているつもりがなくても使途不明金は多く存在し、家計簿をつけて家計のやりくりが必要となります。
団塊の世代などの定年退職された人達に今後の住宅・住まいなどの展望を聞いたところ、大半の方々が現在居住しているの住まいに住み続けるそうで、残りの人達は住まいについて別の予定を持っているそうです。やはり収入減ということもあり、誰しもが住まいの変更を予定している訳ではないのですが、半数の人達は住まい・住居に関してのニーズがあることを示しています。
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